神輿庫

クラウドファンディングによる
神輿庫(土蔵)修繕事業のご案内

皆様の温かいご支援のおかげで令和5年2月に当社神輿庫修繕工事が滞りなく終了し無事完成致しました。
3月8日には工事関係者のみで竣工式を斎行致しました。
関係業者の技術と苦労が集結し見違えるほどの荘厳な姿となりました事、
茲にご報告申し上げ厚く御礼申し上げます。

しかしながら、コロナ禍も影響して未だ目標金額には達しておりません。
クラウドファンディングや社務所にてご支援の募集継続中でございます。

クラウドファンディング

返礼品、修繕後の氏名掲示などは予定しておりませんのでご了承ください。

公益財団法人 京都地域創造基金

〒602-0862 京都市上京区河原町通丸太町上る出水町284番地
お電話でのお問合せ 075-257-7883
(※様々な基金の対応をされてます事から、ご質問にお答えされるのが多少遅くなることがありますので、その点ご理解下さい。)

上記の基金を通じてご寄付いただきますと、寄付金控除の対象となります。

何卒よろしくお願い申し上げます。

令和5年3月吉日

下御霊神社
宮司  出雲路敬栄
任意団体 下御霊神社社殿修復準備会

  

修繕工事の記録

工事の記録(クリックでpdf)

  

YouTube動画】 神輿庫修繕プロジェクト vol.1~vol.4

  vol.1 解体編
  vol.2 荒壁工事編
  vol.3 中塗り工事編
  vol.4 漆喰工事編

  

修復前と完成後

      外壁
      扁額
      なまこ壁
      扉

  

   

神輿蔵の話

神輿庫(土蔵)
修復前の神輿蔵

私は下御霊神社で300年以上お神輿を守り続けてきた土蔵です。

私が生まれたのは今から300年以上前、江戸時代の中頃でして、
宝永の大火で神社の全てが燃えてしまった後、
時の天皇様、上皇様より神殿と立派なお神輿を賜った際に建てられたんです。

大宮神輿

宮中より賜った大宮神輿

生まれて約80年後、天明の大火がおこり、なんと京の都が丸2日燃え続け、
またもやほとんどの建物が焼失してしまいました。
しかしその中で私は、頑丈に造られていたお陰か燃えずに、
大切なお神輿を守り抜くことができたんです。
土蔵としての本領を発揮出来たんですよ。

それから幕末のいわゆる蛤御門の変
皆さんお聞きになったことがあるでしょう、またまた京の町に火がつきました。
今度は戦火ですからね。いやいや、この時は本当にヒヤヒヤしましたよ。
だってお祭りが始まった次の日…
お神輿が拝殿に飾られた後だったので、私は守りたくてもどうしようもなかったのですから。
あの重さは少人数で動かせるものじゃありませんし、第一町の中は大混乱で…。
でも幸いなことに類焼を免れ、全く被害がなかったんですよ。
もし火事になっていたら、貴重なお神輿は失われていたでしょう。

 扉右(菊の御紋)
 扉左 (社紋)

同じ土蔵仲間がどんどんいなくなって寂しいんですが、
それだけに余計に私は後世に残っていく
価値が高まっていると思うんです。
伝統建築は自然と共生してきた日本人の
知恵の結晶ですもんね。
近年は多くの人が私を見に来られますよ。
ちょっと照れくさいんですが…
菊の御紋と社紋が立体的になっている
扉が目立つんでしょうね。

そうそう、左官になりたくて
あるところに弟子入りすることが決まった高校生が
私の存在を知って見に来ましてね。
やっぱり自分は立派な左官になるんだって・・・
決意を新たにして目を輝かせて帰りましたよ。
伝統や文化をおろそかにして未来はありませんから…。
  
  

神輿庫をめぐる歴史年表

宝永5年(1708) 宝永の大火により禁裏御所、公卿邸宅、武家屋敷、寺社及び民家約1万軒以上焼失。
当社も全焼し神輿庫と神輿、祭具も焼失する。

宝永 6年(1709) 東山天皇、霊元上皇より新たに神輿本体(大宮神輿)を御寄付せられる。併せて新たな神輿庫が建造される。(現在とは違い本殿の北側にあった。) 仮皇居の内侍所旧殿を本殿として御下賜せられる。

天明8年(1788) 天明の大火により市中がまる2日間燃え続け、禁裏御所から民家まで約3万7千軒が焼失。
火が迫る中、本殿の御神体を奉じて下鴨社内に仮遷座する。当社ほぼ焼失するが神輿庫と他の土蔵は焼失を免れ、中にある貴重な神輿や祭具、資料等が難を逃れる。

寛政2年(1790) 再度宮中より仮皇居の内侍所旧殿を本殿として御下賜せられる。(現在の御本殿)
本殿再建に先立って神輿庫を現在の位置(境内南東)に移す。

元治元年(1864)   7月19日長州藩による禁門の変(蛤御門の変)が起こり、市中に戦火が広がり約2万7千軒が焼失。
またも本殿の御神体を奉じて田中村から上賀茂村まで逃げ最終的に今宮社に仮遷座する。
幸いにも焼失を免れ5日後に本社に還り鎮座。8月18日の御霊祭は巡幸中止を命ぜられ神事のみ斎行した。

安政3年(1856) 神輿庫を修飾

明治16年(1883) 神輿庫を修繕

令和5年(2023) 神輿庫を全面修復

7月19日
明治8年までは旧暦の7月18日神幸祭巡幸~8月18日還幸祭(御霊祭)巡幸のひと月にわたるお祭りでした。
つまりこの戦火が起こった日には例年通り神輿が拝殿に飾られ奉安されていたわけで、少人数で動かすことができない重い神輿はそのまま放って逃げるしかなかったのです。

  
  

下御霊神社 神輿庫(土蔵)修繕工事クラウドファンディング

ご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。